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2008年8月28日 (木)

8月 第9回 【高橋先生の投稿】

高橋先生の投稿

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たしか「哲学者が科学者に貢献する度合いは、鳥類学者が鳥に貢献する度合いと同じようなものだ」と言ったのは、リチャード・ファインマンだったと思いますが、前回のメールでも触れましたように、このような見解を持つこと自体は、物理学者としての立派なスタンスだと私は考えています。

大槻先生が「量子力学の解釈の問題は不毛の議論」とおっしゃるのも、一つの立派な立場だと思います。実際に、森田正人先生なども同じように物理学者は物理学をやればよいというお考えで、解釈の問題の話になると「そちらは並木さんに聞いてください」とおっしゃっていました。(機会がなくて、結局お話は伺っていませんが。)

ともかく、物理学者はあくまで物理学そのものを発展させるべきであり、その結果、解釈論など必要の余地がなくなるほどの確固たる世界像が見えてくるはずだ、という(楽観的)信念を持つことは、それはそれで物理学者としての一つの立場だと思います。

それに対して、アインシュタインやボーアのように、物理学者が哲学的な解釈論争を繰り広げるという別の立場もあります。これらの二つの立場の相違は、「科学者責任」論争にも似ていて、科学者は研究開発だけやればよいのであって道徳問題に一切関わらないという立場と、科学者も原水爆や兵器製造やスター・ウォーズ計画への参画についても責任を明確にすべきだという立場があります。

このようなタイプの解釈論争や道徳論争は、いくら話し合っても「明確な結論が出ない」という意味では、たしかに「不毛」かもしれません。けれども、そのような論争は無意味で時間の無駄なのかというと、必ずしもそうではなくて、そこから新たに見えてくるものもあるはずで、そのような「哲学ディベート」を私は模索しているわけです(この意味で、オカルトやエセ科学との論争が結果的に「不毛」に終わることとは、本質的に雲泥の差があります)。

ちなみに『理性の限界』が講談社現代新書から出版されたのと同じ6月、講談社ブルーバックスからは、コリン・ブルースの『量子力学の解釈問題』が出版されています。近年のペンローズやツァイリンガーの「オックスフォード解釈」などを見ても、大槻先生のおっしゃるように「量子力学はシュレーディンガー方程式がすべてです。解釈はいりません」と考えている物理学者ばかりではないことが分かります。

要するに、自然界の奥底には、科学者でさえ「解釈」に苦しむ不思議が存在することや、科学者も一個の人間として道徳的判断に悩む点があることを、一般の人々に知らせて一緒に考えるだけでも、大きな意義を果たすことになるのではないかと私は思うのです。今回の『理性の限界』の目的の一部も、そこにあります。この点をご理解いただけましたら幸いです。

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高橋昌一郎

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2008年8月26日 (火)

8月 第8回 【占い師への児童相談】

8月24日、毎日新聞の配信によれば、
『小学校の教員が担任の児童のことで占い師に相談して問題になっている。』
ということです。

この教員は、秋田県男鹿市の小学校で障害をもつ児童の担任をしておりましたが、両親にも無断で、この障害児について個人情報を占い師に伝え障害のことで相談、占い師は遠く岡山の『専門の』占い師を紹介した、というのです。

これに対して市の教育委員会は、この教員の配置換えを行い『個人情報を漏らしたのは不適当』という見解を示しました。また、これを報道した各メディアもそのような観点からこのことを報道しました。

もちろん個人情報漏えいも問題なのですが、それ以上に問題なのは『障害の治療を占い師に頼るという教員がいる』ことです。
私は、これまで様々なオカルト批判をやってきましたが、占いの類はほとんど無視してきました。しかし、最近の占い・血液型占い・星占いの類が科学に挑戦したり、霊感商法に擦り寄っていったりしている現実をみて、このまま捨て置くわけにはいかなくなりました。
そこで近く、集英社より『占い・血液型占い・星占い大批判』(仮題)を出版します。このような小学校の現場を見せつけられるにつけ、やはり、占い批判の本は必要なのだ、という確信が持ててきました。

市教委が、この教員に処分をくだすときに単に『個人情報漏えい』を問題にしているだけでは困ります。個人情報の取り扱いが『不適当・不適切』ではないのです。
占い師というものに学校の正式の教員が障害の治療の相談に行ったことが大問題なのです。
いったい、教委が行う採用試験や面接はどうなっているのでしょうか。

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2008年8月25日 (月)

8月 第7回 【哲学者と物理学者】

私のブログで、高橋昌一郎先生の本『理性の限界』を紹介しましたところ、すぐさま先生からご意見をいただきました。
それが前掲のブログです。その中で先生は、二つのことを議論しておられます。

1. 量子力学の解釈問題を議論することは哲学者の仕事だ
2. なぜ自然はシュレーディンガー方程式に従うのか

ところが、われわれ物理学者はこれらのことをほとんど問題にしません。
量子力学に解釈が必要なら、そもそもニュートン力学について哲学者はどんな解釈をしてきたのでしょうか。また、自然は何故ニュートン力学に従うのか、哲学者は既に解明しているのでしょうか。
万有引力の法則も同じことです。哲学者は万有引力について、どんな解釈をしてきたのでしょうか。またなぜ、自然は万有引力の法則に従うのか、哲学者は解明しつくしたのでしょうか。
マクスウェルの方程式についての解釈は?
なぜ自然はこの方程式に従うのですか?

量子力学について解釈が必要というなら同じように相対論の『光速度不変の原理』に対しても解釈が必要で、いったいこれまで哲学者はどんな解釈に成功して、また自然はなぜこの原理に従うのか、哲学者は解明したのですか?

もちろん誤解の無いように申し上げておきますが、私は科学哲学を高く評価し、それが物理学を革命的に飛躍させる原動力になることもある、と考えています。
例えば、ニュートン力学の質量の概念が不確定で論理的に矛盾するものであることに注目してアインシュタインは、相対論のきっかけをつかみました。
マクスウェルの方程式の場の概念における電場、磁場の統一の概念はその後の強い力、弱い力、そして重力の、大統一理論の発展につながります。

しかし、これらの物理学と哲学の関係は微妙なものです。不確定性原理など、100年近く前に議論された解釈問題は今やあまり意味がありません。
ミクロの世界はシュレーディンガー方程式という複素波動方程式で表現される世界です。何故でしょうか。その答えを出す人がいたとしても私には興味がありません。
やがて100年も経てば、さらにミクロな世界の解明が進み、新たな理論が発展して、その時になって初めてシュレーディンガー方程式のより進んだ理解が可能になるはずです。

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2008年8月22日 (金)

8月 第6回 【高橋昌一郎先生からのメール】

先に高橋先生の著書、『理性の限界』についてこのブログでご紹介しましたところ、早速、先生からメールをいただきました。
先生のご了解のもと、以下に掲載させていただきます。

大槻義彦

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『理性の限界』の目的は、人間が何をどこまでどのようにして知りうるのか、その限界はどこにあるのかについて、これまでに解明されてきた多様な見解を議論し、読者の知的好奇心を刺激することにあります。そのため、専門家ばかりでなく学生や会社員も含めた多彩な人物が登場して、ディベートするような構成にしました。

話を分かりやすくするために極端な見解を述べる人物も何人か登場させましたが、もちろんオカルトのような論外の話題は出てきません。第2章「科学の限界」においても、ミクロの世界がシュレーディンガー方程式に従う事実は明記してありますし、最後の節が「科学の限界と可能性」になっているように、科学の将来の可能性についても触れてあります。

大槻先生のおっしゃるように、量子力学の「解釈問題をいくら議論しても後世には完全に忘れられるでしょう。量子力学はシュレーディンガー方程式がすべてです。解釈はいりません」という見解は、物理学者としての立派なスタンスだと思います。しかし、そのような解釈問題を議論することこそが哲学者の仕事でありまして、それが「いらない」となると、哲学の仕事はなくなってしまいます(笑)。

そもそも、なぜ自然界はシュレーディンガー方程式に従うのか、さらになぜ超弦理論がうまく適応できるのか、なぜ人間や宇宙が存在するのか、それらをどこまで(宗教やオカルトに頼ることなく)理性的に認識できるのか、その限界はどこにあるのか、ということ自体が、『理性の限界』のテーマなのです。この点をご理解いただけましたら幸いです。

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高橋昌一郎

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2008年8月20日 (水)

8月 第5回 【理性の限界】

高橋昌一郎先生は古くからの知り合いの哲学者です。
20年ほど前、オカルトに反対する科学者の会、つまり、JAPAN SKEPTICS を旗揚げするときに熱心に努力されました。その後もこの会の発展・維持のため力を尽くされました。
JAPAN SKEPTICS には、なくてはならない方です。

その高橋先生が最近、本を出されました。『理性の限界』(講談社現代新書)です。
目次には、驚く言葉が並んでいます。とくに第2章。『科学の限界』。
ハイゼンベルグの不確定性原理、EPRパラドックス、科学的認識の限界と可能性、など。

これだけ見ると、『科学的認識には限界がある。』
つまり、『我々の理性には限界がある。』
と述べているように受け取れます。
このままではオカルトの連中が、
『科学には限界がある。』
『量子力学には知り得ない限界がある。』
と言っているのと混同される恐れがあります。

最近日本では姿が見えないオカルト男、青山博士。実はバンクーバーに現れて講演をしました。
彼はかつて、『理性のゆらぎ』というオカルト本を書き、サイババを持ち上げたことで有名です。
この博士、
「今の量子力学には限界がある。つまり、量子力学にはそれ自身超えられない限界があることを示した。」
としゃべったのでした。

高橋先生の本のタイトルや第2章はこれと同じ、青山オカルトと勘違いされる恐れがあります。つまり、本のタイトルは『理性の限界を乗り越える』、第2章は『科学の限界を乗り越える』などとすれば、誤解されずにすんだと思います。
事実、高橋先生の本には、科学・物理学・量子力学の解釈、認識に限界があるように見えるが、これを乗り越えねばならない、という主張がほのめかされています。

余談になりますが、量子力学の不確定性原理や解釈の問題が広く議論されてきました。しかし、このような議論は不毛なものと私は思います。
科学史ではいつもこのような『解釈の議論』がありました。
例えば、ニュートンの万有引力の法則に関して『解釈』の議論が100年以上続きました。

何故、まったくの真空を遠くまで力が伝わるのか。これが解釈論の中心でした。
論文は数百編も発表されたのです。しかし今考えてみると、それらの論文は全て無駄な努力でした。誰もこれらの解釈論を今思い出すことはできません。
最終的には万有引力は場の理論、一般相対論、あるいは近く成功するかもしれない超弦理論にいたってはじめて深く理解されるものです。

量子力学の解釈も同じことです。解釈問題をいくら議論しても後世には完全に忘れられるでしょう。
量子力学はシュレーディンガー方程式がすべてです。解釈はいりません。
ミクロの自然は、この方程式によって余すところ無く理解できるのです。

いやいや、この方程式は複素方程式ではないか。これは、我々実社会と違うではないか。我々の世界は実数の世界だから翻訳・解釈が必要だと考えてはいけない。
つまり我々は、ミクロの世界を語る言葉がないのです。その言葉こそ複素数を含むシュレーディンガー方程式です。
つまり我々は、この方程式を言葉としてそのまま受け入れれば良いのです。

そうです。素直に受け入れるのです。
マクロに住む我々の世界の言葉に翻訳することなど不必要です。
『ミクロの世界はどうなっているのか。』
『シュレーディンガー方程式のようになっています。』

電子は、粒子であると同時に波である。
どう解釈すれば良いのか。
電子の位置を決めてしまえば、運動量は分からなくなってしまう。
『これこそ、量子力学の限界、理性や知性の限界だ。』
などと言う必要はないのです。
そうではなくて、
『電子はミクロな世界でシュレーディンガー方程式で存在している。』
ということです。

ニュートンの万有引力の解釈が難しかった、理解困難だったとしてもそれで理性の限界、科学の限界だったでしょうか。
ノー!
万有引力は重力理論として発展、一般相対論は宇宙の創造と進化に威力を発揮しているではないですか。
さらに超弦理論までいくのです。

理性の限界はありません。

科学の限界はありません。

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2008年8月19日 (火)

8月 第4回 【『ためしてガッテン』ありがとう】

いやはや、大変な騒ぎです。
先日もバンクーバー新報の取材の後、週刊新潮の取材が深夜まで続きました。
会う人ごとに話しかけられます。
「冷凍庫で早く氷を作りたければ、一旦お湯に沸かして入れるといいそうですが本当でしょうか?」
「家では家内と子供が大騒ぎですよ。お湯を冷凍庫に入れて凍ったの凍らないだのと。」

そうなんです。例のNHK『ためしてガッテン』を批判して以来、新聞・週刊誌で騒ぐものですから、ますます注目され、各家庭の冷蔵庫は理科実験室となっているのです。
とくに家庭の主婦と子供さんたちが熱心のようですが、ご主人もこの実験に参戦するわけです。

この実験には、お湯を沸かす時間10分ぐらい、製氷までの時間40分ぐらい、つまり最低50分はかかりますから大変です。
2回繰り返せば、およそ2時間。子供たちはくだらないテレビも見ず、ゲームもやらず(宿題もやらず)、ただ、冷蔵庫で『ムペンバ効果』という世にも不思議な現象に取り組んでいるのです。

これはなんと素晴らしいことでしょうか。
決してジョークでも皮肉でもありません。
私は、心底うれしいのです。
家庭の中で親子が理科の実験に長時間真剣に取り組んでいる姿が目に浮かびます。これこそ生きた理科教育です。まさに私がNHK出版から最近出版した『子供は理系にせよ!』で強調したこと、そのままではないですか。

『ためしてガッテン』よ、ありがとう。
氷を早く作ることはマユツバでしたが、それにもまして家庭の中に『夏休み理科実験ブーム』を巻き起こしてくれました。
この騒ぎに巻き込まれた子供たちのうち、相当数が理系を選ぶ動機となることでしょう。

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2008年8月18日 (月)

8月 第3回 【半オカルト】

この世は広いのです。
科学を信奉し、科学的・合理的な生活を送る人でも、こと霊・霊界となると、あやふやになったり、信じきってしまうのです。

ご存知、JAPAN SKEPTICS (まだご存知ない方はインターネットで検索して、会員になってください。)にもこのような会員がいることに驚いてしまいます。
もともとこの会は、
『超常現象を科学的に解明すること、これらの論説に科学的・合理的に反論すること』
が目的です。
つまり、『反オカルト』がその旗印です。

ところがこの会員の中に『半オカルト』の方々が多くおられるわけです。
「スプーン曲げから霊視まで、超能力などはマジック・ヤラセの類だ!」
とはっきりと否定するのに、こと霊・霊界・霊能力になると態度をすっかり変えてしまうわけです。
例えば、ユリ・ゲラーのスプーン曲げ・念力は否定するのに、江原スピリチュアルは否定しないのです。江原も芸能人の自宅を『遠隔霊視』し、超能力者のユリ・ゲラーと同じインチキをやっているのに、一方は完全否定、一方は擁護するわけです。

どうしてこのようなチグハグが起こるのでしょうか?
そこである日、このような人にお尋ねしました。
すると『明快』な答えが返ってきました。
「超能力は、インチキマジックだ、ということはマジック好きの自分にはすぐ分かる。しかし、霊能力は心・魂の問題だから科学者にも分からないではないか。」と。
確かに『虫の知らせ』はマジックの種明かしでは解明できません。

大事なことは、「霊能力は心の問題だ。」と安易に考えないことです。彼らが起こした現象、彼らが語る物語の批判で十分です。
例えば、『霊視』です。霊だろうと、念力だろうと、遠くにあるマンションの部屋の中が丸見えになるなど、決して科学・物理ではありえません。
念力霊視だろうと霊能霊視だろうと、電波信号もなしにテレビ中継などできません。

人間の脳の研究が未発達だとして、霊や霊能力は否定せず、あるいは肯定してしまって、実は超能力すらも否定できなくなっているくせに、何の反オカルトでしょうか。反オカルトと吹聴する人の中に、すっかり霊能肯定の人が潜り込んでいます。
JAPAN SKEPTICS も、もっとこれらの人々と接触して議論・説得することが必要でしょう。

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2008年8月14日 (木)

8月 第2回 【人類絶滅の予言】

あの、『ノストラダムスの人類滅亡の予言』は、その後どうなったか?
2000年に人類滅亡と大騒ぎしたのに、あれからおよそ10年、人類は何事もなく、めでたくオリンピックをやっています。

あの時、2000年を前にして、たくさんの『ノストラダムスもの』が出版され、ベストセラーが続出しました。テレビの特番は何本も作られ、その大部分に出演しました。
『ノストラダムスなどインチキ予言』と主張したわけです。

そして、ついにその時がやってきました。そうです。1999年大晦日。
この日の特番では、固唾を呑んでその時が来るのを見守りました。
しかし、もちろん、外には寒い北風が吹き出しただけで、人類滅亡どころか、明治神宮の新年は人の波でごったがえしでした。

ノストラダムス予言とやらを吹聴し、本を書いて世を欺いた輩はこの時、すごすごと去ってゆきました。彼らはその後、決して再び登場することはありませんでした。

ところがあれから10年、もうノストラダムスのことも忘れかけた頃、最近になってまたぞろ妙な人類滅亡予言なるものがしゃしゃり出てきています。
『古代マヤ文明にはマヤ暦というものがあり、これでは2012年に人類が滅亡する。』と書いてある、というのです。
さらに、ブラジルの49歳の男、ジュセリーノの予言というものが騒がれています。
人類滅亡は、2012年から始まり、2043年に滅亡するというのです。

また、このブログでも批判しましたが、『聖徳太子の予言』もあるのです。
さらに大きく言えば、大きな宗教でも『終末思想』・『末法思想』があります。人類は、核兵器を開発して、エイズに侵され、終末に向っている、と。

もちろんこれらの人類滅亡・末法思想は何の科学的根拠もない脅しです。お金儲けや布教活動のための恐喝です。実際には、人類の繁栄はますます確かなものになっています。

人生わずか50年と言われた時代は、ごく近年でした。それが幼児の死亡率が極端に減少、肺結核が征服され、不治の病だったガンも不治ではなくなりました。自然災害が起こってもそれによって死亡する人の数は、大きく減少してきました。食料やエネルギーもたくさんの問題を抱えているにしても大きく言えば、人類がそれの恩恵を大きく受けて文明は拡大に拡大しています。
『方丈記』にもの凄い記述があります。
『疫病が流行り、放置された死者が鴨川の川原を埋め尽くして、人馬も通れない。』と。
言外にこれが仏教の教えの末法なのだ、と匂わせていたのでした。

ところがこの時、人類は絶滅していたはずなのに今、チフスやコレラの疫病で死ぬ人はごく稀になりました。
人類滅亡や末法思想に騙されてはいけません。人類の科学文明の進展は素晴らしいことです。おごらず、細心の注意を払い、反省しながら、引き続きその文明を拡大してゆかなければなりません。

そろそろ、この秋には『人類滅亡の大予言』についてのテレビ番組も組まれることでしょう。これらの末法思想がいかにデタラメで反社会的なものか、論陣をはりましょう。

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2008年8月 5日 (火)

8月 第1回 【ダライ・ラマ】

中国でのオリンピックが近づくにつれて、中国の『人権問題』とやらが、にわかに大きくクローズアップされてきています。
ここカナダでも日を追って、チベットでの弾圧、インターネット・言論規制など中国共産党の反人権、強圧政治が報道されているのです。
あわせて、ダライ・ラマ亡命政府のことが取り上げられています。
これらの報道、キャンペーンでダライ・ラマがカナダの名誉市民であることも知りました。ダライ・ラマが、ノーベル平和賞の受賞者であることも驚きですが、カナダにとっては異教徒の仏教指導者になぜ名誉市民の称号を与えるのでしょうか。

私のようなひねくれ者だと、国のメディアが何を言い、国の広報が何を企もうと、おいそれとは信じないし、すぐ反発するのですが、毎日毎日、中国共産党の度重なる人権抑圧の実態を見聞きさせられていると、ついうっかりその気になってしまいます。
中国共産党はいったい、あのチベットの奥地にまでなぜ支配を及ぼそうとするのか。なぜチベット仏教を弾圧するのか、といささか批判的になってしまいます。

しかし私は、すぐ我に返ります。
待て待て、にわかに騙されてはいけないぞ。
チベットに民主主義がないだと?それでは、ダライ・ラマの亡命政府とやらは、どんな『民主的』政権なんだ?いったい、ダライ・ラマは誰によって選ばれたのでしょうか?
これが何とも理解困難な形で選ばれたのでした。
彼がたった3歳の時だったというのです。
『ダライ・ラマ13世が亡くなったとき、安置されていた遺体がひとりでに方向、向きを変えて、ダライ・ラマ14世になるべき人のいる方角を指し示した』のだそうです。
こうして、時の政府の調査隊によって発見されたのが現ダライ・ラマというわけです。

つまり、この亡命政府は、オカルトによって選ばれたわけで、しかも民主的どころかその仏教の権威によって、亡命政府最高権力者として君臨し続けているわけです。
いったいどこに、『中国共産党政権の反人権、反民主主義』を語る資格があるでしょうか。

あろうことか、かつてこのダライ・ラマ政権は、アメリカCIAとの関係が明らかになりました。つまり、CIAは少なくとも170万ドルを援助していたことをダライ・ラマ政権が認めているのです。
しかも驚くのは早いです。なんと、あのオウム真理教の教祖、麻原彰晃がダライ・ラマと会見して1億円以上のお金を提供していたのでした。
その会見の様子は、オウム真理教の説法に伝えられ、それが信者獲得の手段として利用されたのでした。

ダライ・ラマに中国共産党政権を批判する資格は無いと思います。既に退廃化した仏教徒の集団です。まして釈迦のまっとうな哲学とはほど遠い、と断ぜざるをえません。

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