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2006年3月18日 (土)

3月第3回 【最愛の奥様を亡くした友への手紙】

友へ

人間はうれしいことも悲しいことも、やがて忘れるようにできています。それは、一般に100日と言われています。
100日たっても悲しみが余計増すようなら、それは病気です。脳細胞も時と共に死滅しています。つまり、悲しい記憶も死滅します。そうでなければ、人間は日々のストレスで爆発するでしょう。
亡き奥様をどんなに愛していても、男と女に所詮別れはあるのです。

日々の暮らしも、男手でも、なんでもないものです。
私は若い頃から那須にこもり、自分で掃除・洗濯・食事・草刈・畑仕事とやってきました。
これは、普通の生活です。
今は、夏はバンクーバー、冬はサイパン、春・秋は那須ですが、相変わらず自分で家事の切り盛りをします。別に苦痛とも感じないし、楽しいとも感じない。単に毎日を過ごしています。ひとりで家事をこなすのが寂しいとか、侘しいとか思うのは、家事そのものの侘しさではなく別の侘しさなのでしょう。

それにしても奥様が膠原病だったとは、実に不幸なことでした。
それでもお二人のお子さんを残してくれました。何と素晴らしい遺産でしょうか。
私の知り合いの広島大学の物理屋さんの奥様も膠原病でした。しかし、そのためか最初のお子さんは流産、二人目のお子さんは生まれて一、二年で亡くなりました。
結局、この二人にはお子さんがおらず、そしてこの奥様は若くして亡くなったのでした。この人にはお子さんは残されず、たったひとりでした。

あなたには、二人の素晴らしいお子さんがいます。
その上、学問上も素晴らしい成果も上げられました。また、教育行政でもユニークな活躍をされ、高く評価されています。
このような三つの宝は、あなたひとりで築いたものではなく、お子さんはもちろんのこと、学問・教育の成果も奥様との共同成果です。
つまり奥様は、その生きた証として、生命の足跡として、これだけのことをこの世に残しました。
そのことをいつも心に留め、前向きの供養としてください。

                                大槻 義彦

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2006年3月 7日 (火)

3月第2回 【格差】

小泉首相は、またまた言ってくれた。
国会答弁「この社会に格差が広がっていると言われるが格差があることは悪いことではない。」
何ということか。
一国の首相が言うことではない。
絶対言ってはならないことだ。
これが例えば厚生労働省の大臣ならどうだ。大臣辞任に追い込まれるぐらいの発言だ。総理大臣なら、もっと重大だ。

ところがこの国では、この発言・暴言・妄言がすんなりと受け入れられているではないか。なぜこの発言が問題にならないのか?

もともと人間社会に格差・差別があってはならない。しかし、格差・差別は存在する。不幸な遺伝的なハンディを持って生まれてくる人はどうするのか。生命が進化していく過程で優勢的な出生と劣勢的出生が存在する。突然変異がプラスに働く場合とマイナスに働く場合があり、劣勢な出生も起こる。

つまりハンディを持った人が生まれることは生命活動の当然のリスクである。生命が維持され、人類が繁栄していく過程で避けられないリスクがあるのだ。だから人類はリスクを背負った人々に手厚い保護をしなければならない。ここに政府の大きな責任がある。このリスク格差こそ政府の第一の課題である。

企業や社会が進歩するにつれて、それによって恩恵を受ける人とそれによって大きなネガティブな格差に泣く人も出る。長い長いバブル崩壊デフレで大量のリストラがなされ、格差が広がった。この格差に手当てできるのは政府しかない。
それがどうだ!
時の首相が、「格差は悪くない。」とうそぶく。
格差は本来悪いことで、だからこそ政府がその第一の任務として取り組むべきなのだ。
「格差は悪くない。」
と言う我らが大人気の小泉首相によって、年金は減額、健康保険は増額して所得格差のある高齢者・リストラ家庭を痛めつける。弱いもの、格差のある人にさらに格差を押し付ける。本年度の税制改正によって、どれだけ弱いものが収奪されるのか。

日本人は小泉首相の本性に、もう気付いても良い頃ではないか。
「格差があっていいことだ。」と彼が言うとき、
『その格差があるのは自分たちだ。』
『他人事ではない。』
と早く悟って怒るべきだ。

『自分が格差の上位だ。』
と、誤解して喜んでいるとしたら哀れだ。

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2006年3月 1日 (水)

2006年3月 第1回

前回の小泉さんの言動批判について各方面からご意見をいただきました。ありがとうございました。そのほとんどが賛意、もしくは賛同のご意見でしたが、その中で私のこのような『左翼的』言動をご心配いただくものがありました。
「大槻教授ぐらいになると、いわば公人に近いので、あろうことか小泉首相に楯突くことは不利益ではないか。」
ということでした。

たしかに私の言動は時にこの国の一般的、多数意見から外れています。とくにこの国の上層部・指導者と対立します。このため、これまで沢山の不利益を受けてきたのも事実です。
例えば、原発のCMです。
これまでこのTVコマーシャルの話は10回近くもありました。しかし、これらすべてが、やがて立ち消え、上層部からの拒絶で取り止めになってきました。
「大槻教授は左翼だ!」とか「原発反対だ!」
という理由でした。
私は原発そのものに反対したことは一度もありません。およそ、物理学で研究・開発されたものが人類のための応用に使われなかったことは一度もありません。原発も原子核の研究成果であり、放射線医療技術と同じように人類のために使われることは歓迎です。つまり原発は賛成です。ただ、放射線医療が細心の安全性を考慮して行われるように、原発もさらに安全性を高めなければなりません。

先日、ある週刊誌の編集者とわたしのエッセイ執筆について打ち合わせているとき、その編集者が言いました。
「先生に連載をお願いしようとしたら、ある者が反対しました。大槻教授はきびしいよ。偏っているよ。」と。
これまで似たようなことで、沢山のTV出演を断られてきました。ひどい時にはテレビのプロデューサー氏がはっきり言いました。
「そんな風にオカルト番組を批判していると、今後、自分の局の番組には出られなくなりますよ。」と。
テレビなどはどうでも良いのですが、政府関連行事・審議会などすべてに最終的に拒絶されてきました。

しかし私は自分の主義・主張を仕事欲しさに曲げません。自分の世界観・哲学を売り、この国の上層部に媚び、それで仕事をいただいても、私の心はどうなるのでしょうか。心を売ってお金をもらったのでは『心の売春婦』です。体を売ることより、心を売ることのほうが辛いのです。

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