このブログの読者の方から、以下のメールをいただきました。
▼読者の方からのメール
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大槻先生、はじめまして。
私は学部を物理学科で卒業し、現在は大学院で環境科学を学んでいる者です。
先生は宗教を否定しているようですが、それはなぜでしょうか。
確かに、日本人は、宗教を忌避すべきものと思っているひとが多いかと思います。
しかし、世界的に見ると、宗教は社会生活の多くの場面で、人々に浸透しているものです。
学部時代に宗教社会学の講義で、「宗教とはオペレーティングシステムのようなものだ」、と著名な社会学の先生から聞かされました。
宗教には、人間が、いかにして生を全うするか、社会との関わりのなかでどう振る舞っていくか、を考えていくための基礎的な枠組みが、先人の叡智によって示されていると思います。
そして、人類の素晴らしい遺産である芸術も生みました。
先生の信奉する自然科学も、その発生には、キリスト教社会がその背景にあります。
私は、霊魂などのオカルトは信じませんが、伝統的な各宗教の考え方については尊重しております。
先生はこの点、いかがお考えでしょうか。
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▼大槻からの回答
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わざわざメールいただき、ありがとうございました。
宗教、とくにキリスト教についてのまじめで真っ当なご意見と思いました。私も宗教の存在をまったく否定しているわけではありません。ある種の人々の不安感やストレスの解消に役に立つこともあるかもしれませんし、社会規範や生活の指針にもなっていることもあるでしょう。
しかし私は、宗教など無くてすめば、それに越したことはないと思っております。
人類の過去に宗教は大きな役割を果たしたのでしょうか?
あなたは、「宗教は芸術を育み、科学すら、その基礎を作った」と述べていますが、それは違うでしょう。
真実は、「多くの芸術が生み出されるとき、そこにたまたま宗教があった」ということです。
多くのキリスト教に関連した絵画は素晴らしいものですが、しかしそれらは、たまたま教会に関連して画家が仕事をしただけのことでしょう。
仏教でも同じこと。単に仏像を対象として取り上げただけです。
ですから、もし宗教が存在しなくても芸術家は人間の喜びや苦悩をもとに素晴らしい絵画や彫刻を生み出しているはずです。自然の美しさを賛美する絵画もたくさん生み出されているはずです。
今、世に素晴らしい芸術が残されているからといって、それが宗教の価値の証明とはならないと思います。
まして宗教が科学の基礎をつくったとか、科学すら生み出したなどというのは間違っています。
2000年以上も前、ギリシャの哲学者デモクリトスが原子論を唱えたとき、いかに宗教的世界観を否定したかを見れば明らかです。
あらゆる物理法則のうち、一つでもキリスト教的世界観から生み出されたものがあるでしょうか。
まったくありません。ないどころか常にキリスト教的神学は物理法則と対立し、物理学の進歩を阻害してきました。
それはそれとして、宗教は社会の健全な進歩のシステムを維持するのに大きな役割を演じてきたという主張もあります。
そうでしょうか?例えば戦争です。
宗教は平和の使者だという主張とは裏腹に、その宗派に反するものを『皆殺しにせよ』と聖書は教えていますね。
近くはアフガニスタン、イラク戦争でもこの宗教的殺戮でした。一体、イラク戦争で殺された40万人の市民は、『社会の健全なシステム』の犠牲者なのでしょうか。
思い出すのも辛いのは、サイパンの博物館にある映画です。
広島原爆投下に向かうパイロットに『原爆投下の成功』を祈って手を振る二人の牧師の姿です。
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